『口腔ケアはなぜ難しいのか??』

解説:北海道大学大学院歯学研究院口腔健康科学分野高齢者歯科学教室准教授 渡邊 裕

 口腔ケアはなぜ難しいのでしょうか?その原因をいくつか挙げてみますと、
1)ケア時に唾液や汚れなどを誤嚥させてしまう可能性がある(口を開けたままの嚥下は困難)
2)嘔吐反射、咳反射を誘発してしまう可能性がある。
3)口腔内の感覚は鋭敏であり、迷走神経反射など循環動態に大きな影響を与えやすい。
4)ケアを受ける側の協力が得られない場合が多い(図1)。
5)歯と粘膜が混在し、構造が複雑である。
6)口腔内には光が入りにくく、唇、歯、舌、唾液などにより視野が確保しにくい。
7)顎や舌は動きが複雑で、予測のつかない動きをすることがある。
8)入れ歯や様々な歯科補綴物、挿管チューブなどが存在し、それらは汚れが付着しやすく、除去しにくい(図2)。
などが考えられますが、一番の原因は、
9)口腔内の細菌がバイオフィルム(Biofilm)1)を形成する。
ことです。これは細菌の塊のことで、川底の岩を被うヌルヌルとした物質や花瓶の内側に現れるぬめりなどと同じものです。

『肺炎とたたかう口腔ケア』
図1

『肺炎とたたかう口腔ケア』
図2

 口の中では、歯垢とかプラークといわれることが多いのですが、この形成、増殖の過程は以下のように考えられています(図3)。
1)ヒトの口腔内には500種を越える細菌が数百億個も住み着いており、これら浮遊している細菌が歯や粘膜の表面に付着して細菌群を形成します。
2)集合した細胞がネバネバした基質を形成し始めます。
3)細胞は互いに信号を出し、唾液や歯肉、粘膜からの滲出液を主な栄養源として増殖し、小さな細菌の集団を形成します。
4)複数の菌種が共存するとともに、同じ細菌が様々な代謝を行なうようになります。
5)一部の細菌はバイオフィルムから出て行き、新たなバイオフィルムを形成します。
6)さらにバイオフィルムが成熟していくと、細菌の分布が階層化して、多種、多数の細菌が共存できるようになります。これはまたグリコカリックスなどの多糖体に守られて、細菌にとって住み良い環境になっていきます。

『肺炎とたたかう口腔ケア』
図3

 口腔内のバイオフィルムは、虫歯、歯周病や誤嚥性肺炎の原因であることはよくご存知のことと思います。最近では心臓疾患、動脈硬化、肺炎、糖尿病、骨粗鬆症、早産などの妊娠トラブルに関わっていることも証明されています2)。よってこれらの疾病を防ぐためにはバイオフィルムの除去は絶対に必要なのです。

 しかし、バイオフィルムは細菌と固体、細菌同士がグリコカリックスという菌体外多糖で凝集し守られているため、抗生物質や消毒薬は、バイオフィルム中に十分に浸透できません、また細菌まで到達しても効果はほとんどありません3)。したがって、除去のためには定期的に機械的な清掃を行わなければなりません。さらに成熟したバイオフィルムは歯ブラシだけでは除去できません。よって歯科医師、歯科衛生による専門的な口腔ケアが必要になってくるのですが、入院患者や入所者に専門的口腔ケアを提供できる施設はほとんどありません。そのためは歯ブラシ等による日常的な口腔ケアで対応しなければならないのですが、バイオフィルムを完全に除去することができないため、すぐに残ったバイオフィルムの上に細菌が定着、増殖してしまいます。よって頻回のケアが必要になってしまうのです。このことはワックス掛けしたばかりの車の汚れを落とすのはサッと一拭きで終わり、その後も汚れが付きにくいのですが、(図4)しばらくワックス掛けをしていなかった車の汚れを落とすには、洗剤とスポンジでゴシゴシと擦らなければならず、その後もワックス掛けをしなければ、すぐに汚れが付着してしまうのと同じことといえます(図5)。

『肺炎とたたかう口腔ケア』
図4
『肺炎とたたかう口腔ケア』
図5

<参考文献>

1.McCoy WF, Bryers JD, Robbins J, Costerton JW.: Observations of fouling biofilm formation.: Can J Microbiol. 27:910-7, 1981
2.奥田克爾: 健康破綻に関わる口腔内バイオフィルム: 日本歯科医師会雑誌, 58: 225-234, 2005.
3.Stewart PS.: Mechanisms of antibiotic resistance in bacterial biofilms. Int J Med Microbiol. 292: 107-13, 2002.

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