『肺炎とたたかう口腔ケア』

解説:北海道大学大学院歯学研究院口腔健康科学分野高齢者歯科学教室准教授 渡邊 裕

 現在の日本の医療・介護の現場では看護師が先頭に立ち、肺炎予防を目的とした口腔ケアが積極的に行われています。ほとんどの施設で一日3回口腔ケアが行なわれており、救命救急センターや集中治療室にいたっては、4時間おきに口腔ケアを行なうことが当たり前となっています。

 今でこそ口腔ケアが誤嚥性肺炎の予防に効果があることは日本の医療、介護の世界では常識になっていますが、1991年に東北大学の佐々木教授らが不顕性誤嚥に関する研究成果1)を報告するまでは、それほど誤嚥性肺炎予防に関する口腔ケアの効果については注目されていませんでした。この研究は肺炎を発症し、運良く治癒した老年者と肺炎になったことのない老年者を対象に、放射線を出す同位元素(ラジオアイソトープ)を糊状にして就寝前に歯肉に付着させ、夜間徐々に溶け出すようして、翌朝肺シンチグラム(体に取り込まれたラジオアイソトープを検出し、その分布を画像化する検査)を行なったところ、肺炎になったことのない老年者では肺内へのラジオアイソトープ取り込みは10%の人にしか見られなかったのに、肺炎を起こした老年者では約70%の人にラジオアイソトープの肺内への取り込みが見られたというものでした2)図1)。このことから口腔内細菌の就寝時の不顕性誤嚥が肺炎の原因である可能性が示され、誤嚥性肺炎の予防に関する口腔ケアの効果が注目されるようになったのです。

(図1)
米山武義、他:要介護高齢者に対する口腔衛生の誤嚥性肺炎予防効果に関する研究.
日本歯科医学会誌,20:58-68,2001.
図1
米山武義、他:要介護高齢者に対する口腔衛生の誤嚥性肺炎予防効果に関する研究.
日本歯科医学会誌,20:58-68,2001.

 さらに口腔ケアの効果を明らかとしたのは、静岡県の歯科医師である米山先生らが行なった要介護老人ホーム11施設の入所者366名に対する調査でした。この調査では施設介護者による日常的な口腔ケアに加え、歯科医師、歯科衛生士による専門的な口腔ケアを行った群と従来どおりのケア以外行なわなかった群に分けて、口の中の細菌の数を経時的に測定したところ、専門的な口腔ケアを行なった群では口の中の細菌数が5ヶ月後には当初の10分の1に減少したのに対し、口腔ケアを行なわなかった群ではほとんど変化はないという結果でした3)。さらにその後2年間追跡調査を行ない、その間に37.8℃以上の発熱が7日以上みられた入所者数、肺炎発症者数、肺炎による死亡者数をそれぞれ比較したところ、専門的な口腔ケアを行なった群では口腔ケアを行なわなかった群にくらべて、発熱者は14%、肺炎発症者は8%、肺炎による死亡者は9%少ないという結果が得られました4)図2)。これによって誤嚥性肺炎の予防に関する口腔ケアの効果が証明され、日本の看護の中で口腔ケアが標準化したのです。

『肺炎とたたかう口腔ケア』
(図2)

我が国では高齢者が誤嚥性肺炎によって入院した場合、平均55日の入院となり、170万円の医療費が必要といわれています7)。米山先生らの調査結果を当てはめると、日本の要介護者数は約400万人(2005年)ですから、専門的な口腔ケアを行なうことで1年間に16万人の要介護者の肺炎の発症防ぐことになり、医療費は年間約2720億円削減できることになります。要介護者に限ってもこれだけの効果が得られるのですから、入院患者を含めればその何倍もの医療費の削減につながるのです。すでに看護の世界では口腔ケアが積極的に行われていますので、その効果は数千億円の医療費の削減につながっているはずなのです。

  ドイツやアメリカでは日本ほど看護師による口腔ケアは行われていません、また、それらの国々では口腔ケアは虫歯や歯槽膿漏といった口腔疾患の予防のためとの認識が強いようです。つまり、日本の看護、介護は口腔ケアに関して、他の国々と比べて進んでおり、誤嚥性肺炎の予防に関しては世界一であると胸を張ってよいと思います。

 これから何回かに分けて口腔ケアに関して皆様に情報提供をさせていただくこととなりました。秒刻みの看護業務の中で口腔ケアを行なうことは大変なことです。今回の企画はできるだけ皆様の口腔ケアに関する疑問にお答えすること、口腔ケアの省力化のお手伝いをすることの2点に重点を置きたいと思っています。この企画が少しでも口腔ケアで肺炎とたたかっている皆様のお役にたてれば幸いです。


<参考文献>

1.佐々木英忠他:口腔・咽頭の機能低下と誤嚥性肺炎.厚生省厚生科学研究費補助金長寿科学総合研究,平成6年報告書, Vol.4, 140-146
2.Kikuchi R, Watabe N, Konno T, Mishina N, Sekizawa K, Sasaki H.: High incidence of silent aspiration in elderly patients with community-acquired pneumonia. Am J Respir Crit Care Med. 50 : 251-3, 1994.
3.弘田 克彦, 米山 武義, 太田 昌子, 橋本 賢二, 三宅 洋一郎: プロフェッショナル・オーラル・ヘルス・ケアを受けた高齢者の咽頭細菌数の変動, 日本老年医学会雑誌. 34, 125-129, 1997.
4.Yoneyama T, Yoshida M, Matsui T, Sasaki H. : Oral care and pneumonia. Oral Care Working Group. Lancet. Aug 7;354(9177):515, 1999.
5.Yoneyama T, Yoshida M, Ohrui T, Mukaiyama H, Okamoto H, Hoshiba K, Ihara S, Yanagisawa S, Ariumi S, Morita T, Mizuno Y, Ohsawa T, Akagawa Y, Hashimoto K, Sasaki H; Oral Care Working Group.: Oral care reduces pneumonia in older patients in nursing homes: Am J Geriatrics Society 2002 :50:430-433
6.道脇幸博, 角保徳, 三浦宏子, 永長周一郎, 米山武義: 要介護高齢者に対する口腔ケアの費用効果分析:老年歯科医学17, 275-280, 2003.

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